わたしたちempty projectは、趣味でお笑い活動をしている集団です。

平日はまじめに働き、漏らすことなく納税しながら、
あくまで趣味の域を超えないレベルで自分たちの好きなお笑いを研究・追求している、
いわば週末コメディアンです。

本気度がプロ、ならびにプロを目指すの方々とは全然ちがいますので、
厳しい意見を受け入れる覚悟が出来ていません。

なにとぞぬるま湯のような、温かい目で応援よろしくお願いいたします。

2000年、夏。
仲良しメンバーで青春映画を作ろうというアイデアのもと、empty projectの前進となる「studio EP」が発足。
大学の映像とプロダクトデザインコースからの集まりだったので、2つのコースの頭文字をとってEPとした。
処女作「八つ畳の上」は、撮影中にやる気がなくなったため、未完成のまま幻の作品となっている。

「超能力刑事」「LOVE SONG」という短編作品も制作したが、マスターテープ紛失のため幻の作品となっている。

2001年、秋。
春から滞っていたstudio EPの活動が再開。
ストーリー性のある作品ではなく、合コン会場でいかにふざけられるかというドキュメンタリー作品「5×5(five by five)」であった。
この辺りから、アタマ空っぽの方がユメ詰め込めるという意味を含め「empty」と名乗り始める。

ここからは物語のある作品ではなく、「5×5 2」「PCD DINNER SHOW」「神社」といったバラエティ映像づくりに没頭する。
「5×5 2」の企画で誕生した小野と中西の漫才コンビ「ハムナプトラ」が真剣に漫才をはじめ、
問題作として制作中止になった「5×5 3」では他大学にのりこみ、漫才を行なうなど、精力的に活動していた。
マーマレードボーイの前身となるコントユニット「ナイーブ(宰務・越智・原田)」も誕生したりと、
活躍する舞台を、映像から変換する準備を始めていた時期だったのかもしれない。

2003年5月、EMPTYは初の生ライブ「EMPTY LIVE 小祭」を大学内で開催。
全く初めての経験だったため、予定通りの進行が出来なかったり、力の無さを露呈する結果に。
しかし客が目の前にいる臨場感、やり直しのきかない緊迫感に、他には無い楽しさを感じていた。
その後学内ライブは、「EMPTY LIVE 蝶々」「EMPTY LIVE 水上」「EMPTY LIVE ランデヴー」と続いた。

2004年、大多数のメンバーが大学を卒業すると同時にほとんどのコンビが解散。
その後は、やる気のある人や時間が空いている人が不定期に集まり、イベントを行う米米クラブ形式を採用。

しっかりと仕事をもちつつも、趣味としてお笑い活動をつづけている。